未来デザイン談義 -ドミニク・チェン博士×熊野 英介 編- vol.4
ドミニク・チェン博士(早稲田大学文化構想学部 准教授)との対談(全4回)、最終回です。
未来デザインに向けて、創造性・文化性とテクノロジーの関係、新時代を切り拓く"心のビッグバン"の可能性、イノベーションを育む価値観について語り合いました(対談日:2020年3月26日)。
テクノロジーと文化
ドミニク氏:よくテクノロジーの横展開、といった話を聞きますが、テクノロジー(手法)を普遍的に、誰にでもどこにでも適応できるという考え方には、私は非常に懐疑的です。ここでやったものをあちらでもコピーしてそのまま活用できる、という意識は、地域や創り手の尊厳を失うことにつながります。その土地や暮らす人々が持つ固有の文化に対する想像力がなさすぎる。それぞれの地域の魅力に合わせた、オーダーメイドのテクノロジーや方法論がもっとあってもよい。
ちなみに、今はテクノロジーの在り方も大きく変化しています。台湾のデジタル担当政務委員(大臣)のオードリー・タン(唐鳳)氏は、天才プログラマーとして世界的に有名ですが、新型コロナウイルスで不足する医療用マスクの流通状況の可視化と最適化をわずか数日で成し遂げました。あれをもし日本で大手企業に発注したら、費用は数億円、開発期間は半年という見積が出てくるでしょうね。これに限らず、日本ではまだまだこうしたテクノロジーは万全を期して大規模計画で、という官公庁系の発想のものが多いですが、実は10分の1の価格で一週間で作れる、というものも多くあると思います。テクノロジーはチープな方がいいんです。安くないテクノロジーには価値がない、というのを知らない人が多いですね。
熊野:そのスピード感、本当に大事ですよね。必要だと思ったらぱっと作る。国だけでなく日本企業に足りない部分だと思います。イノベーションのジレンマという言葉もありますが、新しいことを試す意思決定にまず時間がかかる、意思決定してからのフローにも無駄や遠回りが多い。本質的でないところにリソースをもっていかれがちです。
地域独自の文化性、作り手の尊厳の話も非常に重要なカギだと思います。
かつて我々の祖先は、自然との対話を繰り返しながら生活し、地域固有の文化を育んできました。そこには"自分たちの地域の良さは自分たちが一番知っている"という自負があります。地形や気候、植生といった様々な制約条件の中で幸福度を高めるための工夫や、制約を打破して乗り超えていこうとする拡張性が、人間の尊厳を支える文明・文化を築いてきました。
民族料理や民族衣装にも、その土地の自然や神への信仰の在り方がそのまま反映されている。近代は、どこの服か、どこの食べ物かが分からない同質のものを大量に作り、その均質性・効率性を価値としましたが、真逆のバリューです。
もっと遡ると、狩猟採集社会が拡大から定常期に入った時に、洞窟壁画や装飾・工芸品といったものが一気に現れましたよね。この、人類が文化的な創造を始めた出来事は「心のビッグバン」と呼ばれています。
心のビックバン
熊野:この「心のビックバン」をもう一度起こせないか、というのが私の事業家としての、新たな市場開拓の関心です。
前回、「人の役に立ちたい、人とつながりたい」という弱いけれど誰もが持っている社会的欲求を集めて安定的な駆動力にする、というお話をしました。この「弱い欲求」を高めるのが、人々の情動を動かす文化や美的感覚です。
リユースやリサイクルといった、資源循環を例にとると、資源は循環する中で、経年的な影響や様々な加工の過程を経て、徐々に劣化していきます。それを欠点と捉えるか、風情や情緒と捉えるかは、心の持ちよう、文化性次第です。陶器の金継などはその典型ですが、それ以外にも障子の破れたところに季節の花々の形に切った和紙で補修したり、着物をほどいてリメイクしたり、人々は創意工夫による文化競争、価値競争で、限りある資源の有効活用を楽しんできた。
また人間の情動は、物質的なエネルギーと異なり、使ったり他のものに変換されたらなくなる、ということがありません。他者や未来を思う社会的欲求は、枯れることのない資本であり、次々と新たな創造のエネルギーになっていきます。
自然や人間の良関係につながる文化競争のネットワーク。これが実現できれば、膨大な政治力や資本力がなくても、社会の持続性と人間の尊厳を底上げすることができます。文化には上下がありませんから。
しかし、今の社会は、一般解化しなければ、証明されたことにならないという風潮が未だに強いと感じます。また無形ではなく有形でなければ、特殊解扱いされる場合も多いです。
ドミニク氏:一般解や有形性にこだわるのは、リスクヘッジをしたいからですね。不確実なものは受け入れがたいと。リスクヘッジをしながらイノベーションを起こすというのは、まさに禅問答のようにも感じてしまいます(笑)。当然、リスクヘッジが最大価値になる領域もあります。災害対策やエネルギー問題などがそうですね。ですが、私たちはあまりにも失敗や弱いアイデアといったものの価値を評価できずに、捨てすぎてしまっているように思います。それは先ほどの話、地域や作り手の尊厳を失うことにもつながります。
イノベーションの始まり
熊野:「私たちのウェルビーイング」とリスクヘッジの話は、非常に密接だと思います。私利私欲に基づく夢は、失敗して周りに迷惑を掛けたときに非難されることが多いですが、公利公欲のための挑戦は、失敗したとしても社会はある程度許してくれるものです。挑戦そのものを皆が喜んでくれますし、得られた経験や知見は応援してくれる人たちの共通の財産にもなります。
皆が求めるものを作る挑戦のために、信頼できる人・もの・技術・情報を集めるという社会的な先行投資を企業が率先して行うべきです。こうしたポジティブな社会的先行投資の結果、いつか必ずそれを上回る価値が生まれる、ということを信じて勝負に出られるかどうか。
私は他者と共に感動や文化を創ろうとする時、最初に必要なのは「give」、差し出すことだと思っています。近代の産業・商業は、貰うこと、つまり「take」が先にきて、それに見合う価値として「give」がある、という契約の考え方ですが、かの道元禅師が、『舟を置き橋を渡すも布施であり、治生産業(生産活動をして生計をたてること)もまた布施だ』と言ったように、本来、仕事や事業とは、他者との良関係や未来のために自らが果たすべき務めを率先して行う、というのが出発点なんだと思います。そうした務めの領域も含めた産業の在り方を設計したいなと思っています。お金はないが技術がある、動くことはできないがお金なら少し出せる...と各々があるものを持ち寄り、そこから価値が生まれていくというのが、市場の始まりでもあり、人間の原式であると思うのです。
ドミニク氏:私も大学で学生たちによく伝えているのですが、特に工学系の学部では、失敗した取り組みに関する論文は格好悪い・弱い・価値がない等とみなされがちです。しかし失敗や弱いアイデアを遠ざけるのではなく、互いの弱さや不完全さ、不確実さを共有することも大切だと。失敗の記録をちゃんと残すことで、未来の後輩の役に立つんだと。するとリスクを取る学生が出てきて、面白い研究テーマや論文が生まれてくる。
今の自分、ではなく、時間軸で過去や未来、皆にとっての価値を生むという視点に立てば、たとえうまくいかなかったとしても徒労感が減りますよね。私利私欲とは孤独な世界。公利公欲の方が気持ちが楽。そうした地点から"ただでは転ばない"という姿勢で挑戦していくことが、イノベーションの始まりではないでしょうか。
熊野:私利私欲は孤独な世界。まさにその通りですね。人々の社会的欲求が原動力となり、豊かな関係性が新しい価値となる新たな社会づくり。ドミニク先生とは、具体的な社会実装のフェーズでぜひご一緒したいです。今回はありがとうございました。
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