空間人類学からひも解く、都市文化でのアソシエーションの育て方

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関西弁を操り、軽快なトークを繰り広げるマリ共和国出身の空間人類学者、ウスビ・サコ氏。空間とコミュニティの関係性について研究するサコ氏と、当社代表取締役会長の熊野英介が、マリの文化を参照しながら次世代のアソシエーション※のあり方について議論を交わしました。

資源回収を軸に、人々が持つ社会的動機性の安定・最大化に挑戦する熊野と、現代の都市文化におけるアソシエーションの限界に言及するサコ氏。
二人の視点が交わることで、アミタがめざす「関係性の豊かさが最大の価値となるエコシステム社会」の構築に向けた多くのヒントが浮かび上がりました。
(対談日:2025年6月2日)

※アソシエーション...特定の目的や関心を追求するため、人々が意図的に集まり形成する組織体。地理的な場所や文化的な共通性に基づき自然発生的に形成されるコミュニティに対して、機能的な側面が強い。


目次

近代建築が生んだ分断。空間は本来、コミュニケーションのツールである

熊野:パレスチナ問題、ロシアによるウクライナ侵攻、トランプ2.0の排他的な外交政策など、いま世界では対立・分断が急速に広がっています。物質的に豊かになったはずの現代で、なぜこのような現象が起きるのか。サコ先生が研究する「空間人類学」の中に、そのヒントがあるんじゃないかと思って対談をお願いしました。自分の中で咀嚼しきれずにいた部分を、今日はとことんお聞きしたいです。

サコ先生はもともと建築学の専攻だったと伺いましたが、なぜ空間とコミュニティの関係性を研究されるにいたったのですか?

サコ氏:きっかけは、近代建築が機能性や合理性と引き換えに失ったものに気づいたことでした。建築に便利さを追求すれば、どこかで人間が機能に合わせる、つまり建築が人間性をコントロールする現象が生まれます。そこには当然、人間の本質的なものはありません。

それを強く感じたのが、高校卒業後に中国と日本での留学経験を経て、母国のマリ共和国で近代の建築学について発表した時のことです。当時(1980年後半~90年代にかけて)は日本で環境問題が注目を集め、建築学でも「環境共生」というキーワードが流行っていた時代です。先進国・日本で環境配慮型の最新建築を学び、自信がたっぷりついていた私は、この技術をマリに持ち込み普及させたいと思っていました。

でも、講演会でマリの人たちから返ってきたのは「何言うとんねん?お前、マリのこと知ってんのか?」という反応でした。「電気の効率とか風通しとか、いろいろ言ってるけど、まずマリには電気も通っていないし、窓も開けっぱなしだよ」と。

マリでは、中庭を数軒の家が取り囲み、数十人が共同で生活する集合住宅が主流であり、そもそも近代の合理的な建築ではマリのような共同生活はまず不可能です。その時はじめて、合理性や機能性は彼らが求めているものではない、もっと人間的な視点から建築を見るべきではないか?という想いが生まれました。

マリの自宅で行事1.jpg中庭でご飯を食べているお客さん.png マリの中庭の様子(提供:サコ氏)


サコ氏:近代以降の建築は、食べるためのダイニングルーム、寝るためのベッドルーム、団らんするためのリビングルーム......という風に、機能に従って形が作られることがほとんどです。それに対して、マリでは1日中、空間が作られ続けています。同じ場所でも調理道具を出せばキッチンに、椅子を並べればダイニングになる、という具合です。

これは日本の伝統的な建築でも同じですよね。畳の部屋はちゃぶ台を置けば食卓に、布団を敷けば寝室になる。結局、伝統的に我々人間は、ものを運んで配置することによって空間の機能を決めているんです。

マリで共同生活が成り立つ理由は、この部分にあります。「あの人が使い終わったら、ちょっと早めに場所を使おうかな」という風に、スペースがオーバーラップしたり、分かれたり、空間は1日中「ネゴシエーション」の場になっている。彼らにとって空間とは、一種のコミュニケーションの媒体です。

ネゴシエーションは、お互いの尊重なしには成り立ちません。私は、共存の本質はこのネゴシエーションにあると考えています。「私たちの共有財産であるこの空間を、どう使うのか?」に対して、誰かが指示をするのではなく、当事者全員が空間作りに参画するコモンズの精神が、共同体には非常に大切です。近代建築はこの多機能的な空間利用のあり方を見落としてしまったんじゃないでしょうか。

熊野:なるほど。合理性を追求するあまり、本来人間が持っている柔軟性や、共有財産の効果的な活用方法を話し合って最適解を皆で作るという関係性が失われていったのですね。

サコ氏:そうなんです。現代の空間は、プライバシーを高めることで人間が孤独になっている気がします。適度に生活音が聞こえる環境では、「お、帰ってきたね」「今ご飯済ませたんか」「あ、シャワー浴びてんのか」など、直接会って話さなくても一緒に生活している感覚は得られます。でも、快適性の名のもとに遮音性を高めると、隣の人の声が全然聞こえず、自分の部屋に一人きりで孤独を感じることにもなる......。近代建築は、人々を分断しているんです。これを広い範囲におきかえると、合理的な空間の分け方が社会を分断しているともいえます。お互いに何をしているかわからないから、不信感が生まれやすいのです。

この視点を得るには、建築学だけでなく文化人類学の観点が必要です。これが、私が空間を人類学的な視点から研究する「空間人類学」を学び始めたきっかけでした。

熊野:現代の日本では、子どもたちは早くから子ども部屋を与えられ、勉強は塾で行い、リビングではテレビを見たりゲームをしたりして過ごすことも多いように思います。家のローンと教育費のため仕事に励む両親のもと、子ども部屋と学校・塾を往復する生活では、子どもたちは社会から分断されてしまいます。そして、嫌なことがあると困難に向き合うよりも先に、子ども部屋に逃げ込んで閉じこもってしまう。歳を重ねてからもその癖が抜けきっていない大人が増えているようにも感じます。

人間とは本来、群れで暮らす社会的な生き物です。だからこそ、自分らしく生きるためには豊かな関係性が必要です。先生のお話から、豊かになったはずの現代が失ったもの、また解決しなければならない課題を、改めて感じることができました。

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信頼関係にプロセスは不要。アフリカ社会に学ぶ、迷惑をかけていい文化

サコ氏:人間社会の奪い合いや差別は、個人のエゴと欲望から生まれています。空間などの所有物を自分の一部にすれば、人は安心するんです。でも、アフリカの社会を見ていくと、みんなで喜びを分かち合う方を大切にしているとわかります。

13~16世紀に栄えたマリ帝国はさまざまな民族・人種が集まる大帝国でしたが、13世紀に作られた憲法「クルカン・フガ憲章」には相互扶助についての記述がはっきりとあります。例えば、子どもたちは地域の子どもであり、特定の家の子どもではない。貧しい家の子どもは、隣の家でご飯を食べる権利があるんです。

熊野:今でもそうですか?

サコ氏:はい、私の家なんていつも30人以上が住んでいて、そのうち20人近くが、お父さんの地元の隣村の知人、もはや誰やねんっていう人たちでした。用事があって都市部にあるうちを訪ねてきているんですが「用事は急ぎません」とか言いながら食費も宿泊費も払わず住み続けています。でも、自分もそこにいる限りは何か役割を果たしたい、とも思うようで、いつのまにか勝手に子どもたちの教育係になっている。僕は説教されるたびに「いや、誰やねん」と思っていましたが(笑)。

この背景には、マリの人間関係の捉え方があるかもしれません。日本では一対一の関係を大事にしますが、マリでは一人と関わると同時に、その後ろにいる多くの人と関係を築いている感覚があります。

熊野:人類学者のロビン・ダンバー氏は狩猟採集民族を研究し、約150人を超えた時点で共同体は分化するという結果を発表しています。イギリス中世の古蹟を研究しても、だいたいの村の人数はその程度でとどまり、現代人に知人の名前を書かせても200人を超えないことが多いそうです。この数は「ダンバー数」と呼ばれ、社会的関係を維持できる人数の上限を示していますが、マリの共同生活はその数を超えても維持できるのでしょうか?

サコ氏:マリでは、知り合いの知り合いはすべて知り合い、という考え方なんです。200人の知り合いがいる場合、ざっと2,000人は知人がいることになります。

熊野:なるほど。その信頼は、どこから生まれるんですか。

サコ氏:これはもう、無条件の関係なんです。そこにプロセスはいらないんです。

熊野:マリ帝国は、イスラム教の桃源郷として大きな力を持った帝国でしたよね。泥で作られたモスクなど、独特の文化も持っている。こうした世界観・宗教観を共有できるなら信頼できる、という感覚ですか?

サコ氏:うーん。それは、おそらく違います。マリの村では、家畜や農業など仕事を分業化して支え合いながら暮らすのが当たり前で、村人は共存関係を誓い合っています。だから、マリでは挨拶の二言目には苗字を聞きます。例えば「お名前は?」「滋賀県の田中です」「あぁ!うちのおじいさんも、滋賀県の田中さんにお世話になっていますよ。私にできることはありますか?必要なものがあれば教えてください」という風に、縁がつながっていくのです。そして、そこで信頼関係を確認するには、冗談に応じられるかどうかが、とても大きい。

熊野:契約ではなく冗談で?それは、一種の文化ですか?

サコ氏:そうですね。私もよくマリ人から試されますが、大変ですよ。例えば、マリの入国審査で審査官から「お前、日本でどんな悪いことしてきたんや?」といきなり言われる。私は日本に来て長いので、パッと応じられないんですよ。困った顔をしていると「お前はマリ人として足りないね、はははは」ってパスポートを返してくれるんですけど「いや、はははじゃないやろ!これ、入国審査やで!?」みたいな(笑)。

熊野:なるほど(笑)。 子どもの頃、ばあさんと一緒に貧乏長屋に住んでいた時のことを思い出しました。物売りの人が久しぶりにやって来たら、近所のおじいさんが「この死に損ない、まだ生きてんのか」と声を掛けるんです。で、物売りもニコニコしながら「じいさんが死んだと聞いたから来たのに」と返す。子どもながらに「なんやこのコミュニケーションは?」と思っていましたが、そこで距離がグッと近くなるんですよね。

サコ氏: そうです、そうです。冗談は相手が自分に寄り添うかどうかの確認手段なんですよね。

個人主義から、曖昧さがキーワードの「シェア」の文化へ

熊野:冒頭、世界で対立と分断が激しくなっていると話しましたが、近代に入る前はエルサレムにユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地が密集するなど、なんだかんだ多様な文化圏の人間が混在していたと思うんですよ。それを対立構造に変えてしまった近代の本質は何なのでしょうか。マリのように、共同体が相互扶助の関係性を築く方法を知りたいです。

サコ氏: 近代化の過程で、経済的発展のために「合理性」が重視されてきたことの影響は大きいでしょうね。お互いの存在を受け入れるには合理性ではなく「曖昧さ」が重要です。はっきり受け入れるとも言わないし、はっきり嫌いとも言わない。お互いに余白を与える曖昧さに救われるものがあると思うんですよね。

例えば、ローマ帝国は支配を拡大する過程で合理性を生むために宗教を利用した結果、聖書を読める者だけが重視されるといった社会構造も生んでしまった。15世紀になると、すべての人に読む権利を与えるべきだというヒューマニズムの考えが生まれますが、そこでも優位性や序列性が形成されていきました。「もの」がよりたくさんあった方が幸せだとか、自分が権力を持てるとか、物質的な豊かさへの依存はそこから始まったように感じます。そうすると、精神的な重要性が忘れられ、もの中心の考え方に偏ってしまいます。この考え方が、社会構造にさまざまな影響を及ぼしたのではないでしょうか。

私が大学で担当する設計演習では「多様なバックグラウンドを持った人たちが集合住宅に住むために、どうすればいいか?」という課題を学生に与えていますが、そこでは共同空間における住民同士のダイアログが重要視されます。対話には他者を受け入れる曖昧さが不可欠です。これは、関係性を改善するだけでなく、充実した生活環境の実現にもつながると私は思ってます。

日本は本来、曖昧性がとても強い国ですよね。

熊野:僕も常々、日本は曖昧性を文化や価値に変えてきた「編集の国」だと思っています。神仏習合で神道と仏教を融合する、漢字には訓読み・音読みがある、八百万の国ながらクリスマスをお祝いして、インド人が食べたことのないカレーを作る。日本は常に、概念と概念をつなげる「編集」で価値を生んできた国です。まさに曖昧さを尊重した文化です。

サコ氏: さらに近年、日本ではシェアの文化が浸透しつつありますよね。学生アパートでも共有のスペースが充実しているケースが多く、ご飯を作ったり、食べたり、そこで勉強したりと、空間をシェアする文化が広がっています。間接的ではありますが、カーシェアリングなどシェア型のサービスも定着してきました。個がすべてを持ち合わせる、個の空間だけを充実させる、という個人主義的な考え方に限界を感じ始めたのだと思います。

これから、曖昧性を重視した価値観にシフトしていく可能性もありそうですね。

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互助共助型のコミュニティを生む「MEGURU STATION®」の挑戦

熊野:人類は産業革命以降、地下資源を使って見込み大量生産・安定供給する工業モデルを作ってしまった。でも、資源枯渇や気候変動が進行するなかで、物質が価値を左右する社会は持続可能ではありません。経済を中心にした社会システムが終わりを迎えた後、次の時代で人類が目指すべき「共通善」は何になると思いますか。

サコ氏:私は共同体の構成員が、自ら目的を設定するしかないと思います。今は当事者が仕組みをよく分かっていないまま、第三者が方針を決めるじゃないですか。「あなたたちがこれぐらいの税金を払ってくれたら、そのお金でまちを整備しますよ」と。

近代ではいつも、第三者を頼る制度を先に作って、それを取り入れるために個人が行動してきました。でも、当事者同士が話し合いながら自らサービスを作っていけば、制度に頼る必要はないわけです。みんなでお金を出し合って一緒に作れば、地域への帰属意識も高まるし「この制度は私たちのものだ」という愛着も生まれます。

熊野:チェコスロヴァキアを解放したハヴェル大統領が「制度化された政治や官僚主義は、市民の無関心や受動性を生む」と警告していたことに近いでしょうか。

サコ氏:そうですね。結局、現在の選挙は既存の選択肢から選ぶシステムなので、自発的な行動がなく、愛着が生まれない。ここに、民主主義の限界があると思います。

今後は、我々が今持っている「私」という強い観念を、どうやって「私たち」に変えるかがすごく重要です。自分中心のエゴではなく、共同体として自分たちの方針を決めて、実行していく社会構造の変革が必要ではないでしょうか。経験者が欲を捨てて皆の良きアドバイザーになるなら、年功序列があってもいいと思いますよ。そのリーダーは若者だったり、女性だったり、いろんな人になると思いますが。

熊野:たとえ弱くて不安定なものでも「社会や人の役に立ちたい」という気持ちは、すべての人間に存在する本能であり、主語を「私たち」に変えるために重要な役割を果たしますよね。アミタでは今、MEGURU STATION®※というサービスを起点に、脳科学や社会行動学を利用して、社会的な動機性を安定的・持続的に引き出すコミュニティづくりに取り組んでいます。

※MEGURU STATION®...アミタが提供するサービスの一つ。「互助共助を生むコミュニティ拠点」と「資源回収ステーション」の2つの機能を融合させて、地域課題の統合的な解決を目指している。

そこで注目しているのが、全人類が平等に生み出している「ごみ」という存在です。権力のある人も、金持ちも、貧しい人にもごみはあり、それを分別すれば資源になる。

MEGURU STATION®では、学校帰りの子どもたちが勉強をしたり、それを大人が見守ったり、家庭から出た不要品を住民同士で交換したりと、新たな関係性が次々と生まれます。大人に勉強を教わっていた子どもたちが、いつのまにか大人にごみの分別を教えるようになって、テストでいい点をとる以上に誇らしそうな顔をしている、また認知症気味だったおばあさんがステーションに通うためにおしゃれをし始めて日に日に表情が明るくなった、など嬉しい報告もありました。

IMG_1274 1 1.pngMEGURU STATION®では世代を超えた交流が生まれている

本ステーションの定量的・定性的な効果を可視化するため三井住友信託銀行株式会社と共同で作成した「インパクトレポート」では、ダンバー数の範囲で回収拠点を作れば、資源回収に混ざる異物が少なくなったうえ、拠点に通う人の幸福度が上がるなど、心理的な変化が生まれることが明確になりました。コミュニティへの帰属意識が高まり、個人の社会的なヒューマンキャピタルが上がれば、DVやいじめの問題解決にもつながるのではないでしょうか。

サコ氏:なるほど、良い仕組みの事例ですね。

熊野:僕の事業のテーマは「近代に対してどう次の新しい時代を創るか」です。近代というのは、目的を持って「王の国」より「神の国」を創るという理想があった。いつの間にか手段が目的化して、免罪符などの物質が大切になっていきましたが、今は世界的に共通善すらなく、個人の夢が物質的な豊かさに向いてしまっている。

しかし、NPOでも、株式会社でも、自治会でも、アソシエーションには目的がある。人類は複数のアソシエーションに参加しながら、個人の共通善よりもアソシエーションの共通善を大切にするという、次の段階に入っていると僕は考えています。現在も人が人種や宗教観など垣根を超えてつながりあい、社会的動機性をモチベートできるアソシエーションの仕組みを開発中です。

合理性が生んだアソシエーションの限界。無条件の共同体はどう創る?

熊野:今年から、先述したMEGURU STATION®を京都の衛星都市、人口約86,000人の亀岡市全域に導入する大きな社会実験※を計画しています。サコ先生はこの取り組みについてどう思われますか?

かめおか未来・エコロジックミュージアムプロジェクト

サコ氏:とてもおもしろい取り組みだと思います。ただ1つ難しいところが、人間の気持ちには数値化できない部分があることですかね。数字だけに頼ってしまうと、社会システムが合理性に陥る負の連鎖が生まれそうです。私は工学部にいたので、研究結果を数字にしないとなかなか論文にならないジレンマを抱えていたのですが......。

私は、合理化によって生まれる「都市文化のアソシエーションの限界」を感じているんです。2000年頃、マリの大工組織を研究していましたが、彼らのアソシエーションでは、個人の知識・技術を共有財産化することが重要でした。村社会にはイニシエーション(通過儀礼)もありますが、その中で落ちこぼれても、ものがなくても、共同体に守られて共同体の中で生きていくことが保証されます。

一方で、現代のアソシエーションは属性が専門化されているので、参加するには同等の知識、あるいは同等の条件を持っていなければいけません。例えば、みんなが建築学を学んでいるとか、地域奉仕の活動をしているとか......。所属する側も、一定の条件を満たした人に参加してもらうには、他のアソシエーションより優れているところを見せて、差別化することが求められます。

だから私にとって、無条件のアソシエーションをどう作るかは、とても大きなテーマなんです。NGOやNPOなど、非営利で社会的な活動を行う組織は多数ありますが、持続性の面では未だに課題があります。

熊野:よくわかります。あともう1つの課題は同調圧力かもしれませんね。例えば祭りのアソシエーション、農業のアソシエーション、企業のアソシエーション、それぞれ必ず個人の義務が生じます。マリの社会では、他人の家に住みついて数年間じっとしていても「いずれ何かするでしょう」という気持ちで、受け入れてもらえる。

サコ氏:マリは日本に比べて、役割へのプレッシャーが小さいかもしれません。約20年前、日本のインターネットにおける社会構造を研究したことがありましたが、いつの間にか強い人と弱い人の関係性が作られてグループから抜けにくい状況が生まれていました。現実から逃避して入ったネット社会ですらヒエラルキーや同調圧力が生まれているのは、誰に言われなくても相手に合わせて立場を作ってしまう日本人の性質ではないでしょうか?友達や社会に合わせて自分を演じるのは不自由なことです。

熊野:よくも悪くも自分というものを持てない。これは日本人の1つの特徴です。最近はとくに、自我というものが不明確なわりに、形だけが自己中心的になっているように感じます。「自分は存在していいんだ」という尊厳はとても重要ですが、僕は、この尊厳は当人の主体性なしには生まれないと思っています。ここでの主体性とは、自分勝手に生きることではなく、社会の関係性の中で「人生をかけて『生きる』意味を証明したい」と思うことです。

僕自身も若いころは生きづらさを感じ、他人と自分を比較しながら被害者意識を抱えて生きていた時期がありました。しかし、17歳の時に写真家のユージン・スミスが撮影した水俣病の娘を抱く母の写真に出会い「社会に不満をぶつけて生きるのは恥ずかしい」と強く感じました。その時に僕は、未来を創る当事者として生きることを決意できたのです。

「自分は存在していい」と心から思える「主体性」の育成。本来これは、教育の現場でとても大切なことだと思っています。

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コミュニケーションに必要なのは、自分自身のストーリーを語る力

熊野:役割を演じてしまう日本人の話になりましたが、ヒエラルキーや同調圧力を解放しながら、社会性を維持する仕組みはどのように実現できるのでしょうか。

サコ氏:まずは「自分」という存在を認識し、それを他者に伝える勇気が必要です。私は大学の講義で、自分が何者であるかを語り合ったり、絵で表現したりする、いわゆる「コミュニケーションの準備運動」を行っています。

社会的な立場で相手を判断するのではなく、一人ひとりの出自のストーリーを知ることで、人間は深い部分で繋がれます。そのために、まずは個々人が、自分の足元の文化を把握して、自分は何者なのかを語る力が必要です。英語が喋れるとか、海外を知っているとかではなく、それぞれが持っている精神的・文化的なものをいかに交換できるか。これこそがグローバル社会を生き抜くコツだとも思うんですよ。

また、自分の存在を認めることができない人は、お金や権力、政治など、自分の外にあるもので他人をコントロールしようとします。「私は私だ」と自分を受け入れることは、他人を尊重する行為にもつながります。

この「コミュニケーションの準備運動」を繰り返していくと、徐々に徐々に、自分というものが見えてきて、それを伝えることが怖くなくなるんですね。この自己表現の癖は、社会人になってからも活かされることが多いです。

熊野:そういう意味では、50〜60代の日本人はある程度社会が成熟した広告の時代を生きてきました。「ほしいものが、ほしいわ」という言葉はご存じですか?これは1988年に西武百貨店のキャッチコピーとして大ヒットしたものですが、僕はこのコピーを「『私』ではなく『世間』が欲しいものが欲しい」という意味で捉えました。そういう個性も自由も商業化した時代を生きてきたのが、今の子どもたちの親世代なんです。

高度経済成長期から生まれた社会常識が、世の中の非常識だということに気づかずに、多数決で民主主義を動かしているのが今の日本の根っこにある気がします。

貨幣に縛られない、関係性が社会を動かす時代へ

熊野:今日はありがとうございました。最後に、先生が描く理想の社会像や今後の夢を語っていただけますか。

サコ氏:何度も繰り返した言葉ですが、私は「合理性」を追求するより、お互いに尊重し合って相手の喜びを優先する社会を理想としています。アフリカの多くの国では、儲けを数値化するだけでなく、自分が社会の役に立っているという事実が経済効果の指標になる文化があります。一種のトラスト経済ともいえるでしょうか。

熊野:あくまでツールとして貨幣の形をとっているだけで、貨幣から貨幣を生み出す、現代の「貨幣経済」ではない、ということですね。

サコ氏:貨幣よりも先に信頼がベースにあるので「今日買って、明日払う」みたいに、お金の回り方が瞬間ではないんです。そんな文化圏から日本に来て一番大変だったのが、迷惑をかけられない文化です。日本って精算が早いですよね。お金を貸してもすぐ返ってくる(笑)。

熊野:日本でいう、昔の通い帳みたいなものですね。お盆とお正月にまとめて払う文化が、僕の子ども時代にもありました。

僕も、今の資本主義には違和感を持っています。本来の資本主義は、数値で図れない「努力」や「気持ち」が資本のベースにありました。今こそ、その根っこに立ち返る必要を感じています。

僕は今こそ、「関係性」に価値を見出す地域通貨が重要になる時代だと考えています。資源の枯渇や関税の影響、国際情勢の不安定化など、さまざまな要因から物価高が進み、しばらくはインフレ傾向が続くと予測されます。去年1万円で買えたものが今年は1万5千円する──というふうに法定通貨の購買力は変動しますが、人と人との信頼関係やつながりといった「関係性」の価値は、時間が経っても比較的保たれやすいものです。

インフレ下で生活を安定させるには、単に現金を蓄えるだけでなく、地域で築かれた信頼やつながりを基盤とした経済の仕組みが補完的に機能することが期待されます。実際、一部の地域では、地域通貨を介して支え合いや再分配を促進する仕組みも実践されています。

さらに、総務省や経済産業省が推進する「ワット・ビット連携」という新しい地域インフラ構想が進めば、地域で発電し地域で消費する「電力の地産地消」が現実味を帯びてきます。これは、出力の変動が大きい再生可能エネルギーに対し、気象予測や需要予測といった情報(=ビット)を活用して、電力(=ワット)の供給と需要のバランスを地域内で効率的に調整するというものです。このような仕組みが確立されれば、電力は石油や核燃料(ウラン)に頼ることなく、太陽光・風力・水力など地域の資源だけでまかなえます。「もの」だけでなく「電力」までも地域で生み出し、地域通貨を介して関係性をベースに活用していく。そんな未来が、遠くないうちにやってくるかもしれません。

※ワット・ビット連携......地域の再生可能エネルギーとデジタル通信インフラを同時に整備し、電力(ワット)と通信(ビット)を統合する新たなインフラ構想。

先ほど紹介した亀岡市のMEGURU STATION®に集まる資源や人の流れに関する情報も、将来的にはこうしたワット・ビット連携のシステム設計に活かされる可能性があると感じています。

少し長くなりましたが、これは僕の夢であり、信じている未来のかたちです。「貨幣に縛られない、関係性が社会を創る」時代は、確実に芽生えつつあると感じています。

サコ氏:そうです、そうです。今おっしゃった「関係性が社会を創る」という言葉です。その関係性が経済も動かす、ということが大切だと思います。

熊野:先生が見ている世界は、我々と同じでしたね。ありがとうございます。これをご縁に、またいろいろとご相談させてください。

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対談者

ウスビ・サコ(Oussouby SACKO)氏
京都精華大学 元学長・名誉教授/東京都公立大学法人 理事/東京都立大学 特任教授

マリ共和国生まれ。 国費留学生として北京語言大学、南京東南大学で学ぶ。91年来日、99年京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。専門は空間人類学。「京都の町家再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。京都精華大学人文学部教員、学部長を経て2018年4月同大学学長に就任(~2022年3月)を経て現職。主な著書に『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(大和書房)、『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(朝日新聞出版)など。2025年日本国際博覧会協会 副会長・理事・シニアアドバイザー兼任他。


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