「9.11から3.11」(2013年9月11日掲載)
アミタホールディングス株式会社の代表取締役会長兼社長である熊野英介のメッセージを、2ヶ月に1回、動画やテキストで掲載しています。
「9.11から3.11」
(2013年9月11日掲載)
「常識」はわずか97年前に始まった!
アメリカが常備兵を持ち始めたのは、人類史上最初の世界大戦である第一次世界大戦(1914年から1918年まで)の半ば、1916年2月、徴兵制に合憲判決を出してからです。「何人に対しても、刑罰を例外として、奴隷および本人の意思に反する労働を強制してはならない」という主旨の憲法条項に違反しないとの判決でした。その後、原子爆弾を使用した第二次世界大戦を経て、軍事大国になるまで約30年。最大の軍事国家として世界中が認知し、今日に至るまでの歴史は97年です。
アメリカは二つの大戦で勝利国となり、豊かさを謳歌する世界最大の軍事国家であるという「常識」を背景に、冷戦終結まで「個人主義と自由主義と資本主義」という革命を世界に輸出しました。ある意味、無邪気さがある時代だったと言えるでしょう。しかし冷戦後は、アメリカそのものが、そういう無邪気さを超越した近代システムに支配されていったのではないでしょうか。そして、経済大国を自認している日本や中国やロシアも同類になっていったのではないでしょうか。
近代システムに飲み込まれるまで
世界大戦後の朝鮮戦争、そして1960年から始まったベトナム戦争を主導したアメリカは、1973年1月27日に和平協定を締結しなければならないほど、経済的に破綻をきたし、二つのニクソンショックを引き起こしました。一つ目は、1971年7月15日に発表されたニクソン訪中宣言です。二つ目は「ドルショック」とも呼ばれる1971年8月15日の金ドル交換停止で、これによって、固定為替相場制度を終焉させ、変動相場制度に移行しました。アメリカの行動原則である自由主義というイデオロギーを最優先するのでなく、最大の軍事力を背景にした経済的信用という方向性を誕生させ、アメリカは軍事産業の民生転用という産軍国家モデルを築きました。
その後、1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊し、同年12月のマルタ会談で、44年間続づいた冷戦が終結しました。しかし、勝利したはずのアメリカが、産軍国家モデルを解体して、新しい社会システムを構築する事はなかったのです。翌1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍の派遣を決定、翌1991年1月17日にイラクを空爆して湾岸戦争を開始。1997年のカレンシーショックとも呼ばれる世界金融危機によって経済混迷と金融強化が始まるまで突っ走ることになります。
このように、第二次大戦後は、経済問題より軍事問題へ重心が移ったかに見えましたが、冷戦が終結。世界の関心事は軍事問題から経済問題へとシフトし、そして地球環境問題へと移行したかに思われて20世紀末を迎えています。21世紀は環境課題を解決していくべき時代と言われつつも、20紀末のカレンシーショックが、地球環境問題よりも金融、経済の問題に人々の興味をひきつける結果になっていました。
そんな21世紀が始まったばかりの2001年9月11日、アメリカのニューヨークを起点に、同時多発テロが発生。その報復として、アメリカが主体となり始まったイラク戦争でしたが、大量破壊兵器も見つからないまま、2010年8月31日にオバマ大統領によって戦闘終結宣言がなされました。そして、その翌年の2011年3月11日に日本で起きた東日本大震災に対する復興支援活動としてなされた、アメリカ軍による作戦行動を、「在日米軍を含め、アジア太平洋地域に前方展開兵力を持つ意義を示した」と見なした中国の判断により、チャイナリスクが顕在化しました。これらは、経済問題で軍事問題を復活させていこうという動きのように、私には見えます。
世界は、豊かになればなるほど平和から遠ざかっているのでしょうか。
9.11、3.11から見えるもの、そしてこの先に見えるもの
二つの国に起きた事とその後の国の在りようから見えてくるのは、個人の自由を犠牲にする巨大で複雑な近代システムです。豊かさは全て数値化され、市場化され、合理的に増幅する事を正義にして、人間と自然をコストにしながら、近代システムは、ますます巨大化し、ついに、人間社会に奉仕する道具から、人間に奉仕させるシステムになってしまっている。アメリカ、日本をはじめとする多くの国々が、システムに引き摺られる形で、軍事問題から経済問題へ、経済問題から軍事問題へと振り子のように問題を起こし、人間性を崩壊させる道へと導いています。
一刻も早く人類はそれに気づき、団結し、人間がコントロールできるシステムで人間が幸福になることを考えなければいけません。
ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、ミナマタ、フクシマ。人類は、人類を憎んでいるのでしょうか?そうではないはずです。正義を使うことに酔いしれる情けない幼児性があるだけなのではないでしょうか。中国や韓国や日本のナショナリズムの問題も、互いに国土を動かせない以上、好きも嫌いもなく認め合うしかないはずです。しかし、正義を振りかざして憎しみ合い、傷つけ合うのは人間同士であり、軍事問題から経済問題へと無機的な数値が増加して喜ぶのは、近代システムによって人類そのものが追い詰められていくことに一切の関心が無い人々のみです。もういい加減、過去の社会実験から学び、人類が人類を守らなくて誰が守ってくれるのだと気づかなければならないのです。
今、歴史的に人類の生存意義が問われています。人間が人間性の崩壊を防げるかという命題が与えられています。
9.11から10年後の3.11を経て、世界そして日本は気づき、学び、自然と人間をコストから資本にする「新社会システム」を構築し、人間自らがそれをコントロールして幸福を目指し、決してシステムの奴隷にならないようにしなければならないのです。近代システムのために無念の人生を送った無数の人々のために、今こそ人間性を発揮して、理想に向かって挑戦しなければならない。「常識」と思っていることの全てに始まりがあり、それは長い時間をかけて出来上がったものとは限らないことにまずは気づき、楔から解き放たれましょう。
人類が学び、選択する社会は、混沌や均質化の社会でなく、人間性の進歩を設計できる社会でなければいけない。歴史に「競争社会」から「連帯社会」への転換の足跡を残したいものです。
2013年9月11日
アミタホールディングス株式会社
代表取締役会長兼社長 熊野英介
会長メッセージ
※2013年3月11日より、会長・熊野の思考と哲学を綴った『思考するカンパニー』(増補版)が、電子書籍で公開されています。ぜひ、ご覧ください。
※啐啄同時(そったくどうじ)とは
鳥の卵が孵化するときに、雛が内側から殻をつつくことを「啐(そつ)」といい、これに応じて、母鳥が外から殻をつついて助けることを「啄(たく)」という。 雛と母鳥が力を合わせ、卵の殻を破り誕生となる。この共同作業を啐啄といい、転じて「機を得て両者が応じあうこと」、「逸してはならない好機」を意味する ようになった。このコラムの名称は、未来の子どもたちの尊厳を守るという意思を持って未来から現代に向けて私たちが「啐」をし、現代から未来に向けて志ある社会が「啄」をすることで、持続可能社会が実現される、ということを表現しています。