〈弱いロボット〉から学ぶ幸せのかたち
~「ありあわせ」がイノベーションを生む!~

便利で効率的で快適で...、でもなぜか満たされない。ああ、幸せって何だろう?
そんな問いにヒントをくれる、ちょっと風変わりなロボットがいると聞いて、会いに行ってきました。彼らを前にすると、思わず話しかけ、手を差し伸べ、うふふと微笑んでしまうのはなぜなのか?

記念すべき、しまうまフレンドお一人目は、豊橋技術科学大学で〈弱いロボット〉の研究を行う、岡田美智男教授。レッツ!しまうまトーク!


不完全なロボットとの出会い

5月某日、末次は都内で開催中の『きみとロボット展』にいた。―――

末次:人生初のロボット展。
わくわくするな!なんでも出してくれる猫型ロボットとかあったら嬉しいな!
おぉ?なんだ?この白いロボット、変わった顔してる。でも可愛い。。。「昔話を語り聞かせてくれるロボット〈Talking-Bones〉」って、子どもを寝かしつけたりする時につかうのかな?

Talking-Bones:あのね、いまからね、桃太郎を話すよ。むかしむかしね、あるところにね、おじいさんとね・・・川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこと、大きな...えーと...なんだっけ。なにが流れてきたんだっけ?

末次:え!?え!?も、桃?

Talking-Bones:そっ、それだ。それ、それ!

末次:それ一番大事なとこ!(笑)

Talking-Bones:桃の中からね、元気な男の子の...あのー、赤だよ...えーっと...

末次:あか?なんだろう。垢太郎、は違う話だ(笑)。赤ん坊?赤ちゃん?

Talking-Bones:あっ、赤ちゃんだった!

末次:だよね。うふふ。(あ!無意識に微笑んでしまった!キュンキュキューーーン!!)なんなんだ!この胸の高まりは!想像していたのと違うが、なんだか満たされる。。。

なぜ不完全なロボットを作るのか

末次:というわけで(どういうわけだ、、、)本日は、〈Talking-Bones〉などの開発者である、豊橋技術科学大学の岡田先生の研究室(ICD-LAB)にお邪魔しています。

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こちらのお部屋もいろんなロボットさんがいて、気になって仕方ないですが笑、、、先日、「きみとロボット」という展示会で、先生のロボットたちにすっかり心を奪われてしまいました。私が想像していたような高機能で高性能なロボットとは違って、むしろ大丈夫かなと思って目が離せない、助けたくなる存在と言いますか...。

本日は、先生が研究される〈弱いロボット〉を軸に、弱さや不完全さが生み出す力や人々の幸せについてお話しできればと思います。早速ですが、まずは先生がどういうコンセプトで、ロボットたちを作られているのか教えて頂けますか?

岡田氏:そうですね。例えばこの〈む~〉という名前のロボットは、みんなに可愛がってもらえるロボットとして作りました。見ての通り、表情はないし、手足もない。言うなれば、何もできない、ただ「むっ、む~」と鳴くだけのロボットなんです。

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でも、少しだけ考え方を変えてみましょう。
〈む~〉が置いてある椅子を誰かが押してあげれば、動くことができますし、手が無いのなら誰かに取ってもらえばいいですよね。〈む~〉は表情がなく言葉足らずな存在ですが、周りにいる人が積極的に感情や言葉を想像し解釈することで、コミュニケーションを取ることができるのです。

身近なところで例えるなら、まさに赤ちゃんがそうです。赤ちゃんはとてもか弱い存在ですが、泣いてぐずることで、ちゃっかり欲しいミルクを手に入れたり、抱っこしてもらって行きたいところに移動できてしまいますよね。家庭の中で一番弱い存在のはずが、なんだかとっても強い。

末次:なるほど。周りを巻き込むことで、何かを成し遂げてしまうということですね。思い返してみると、赤ちゃんって最強ですね!泣くだけで周りが全部やってくれるんだもんな。

岡田氏:〈む~〉以外にも〈弱いロボット〉はまだまだいて、これは自分でごみを拾うことが出来ない〈ごみ箱ロボット〉です。

末次:先日のロボット展でもこの子を見かけましたよ!「もこ~!」「もこもん!」というのがかわいくて。チラチラこっちを見てるような気がするもんだから、ついついごみを入れてあげたくなるんですよね。

岡田氏:そうです。このロボットにはアーム(手)がないので、ごみを見つけるとその横でもじもじしながら「もこもこ」と言うだけ。そして、誰かが気づいてごみを入れてくれると、軽くお辞儀をします。

以前、お子さんが多くいる空間に、この〈ごみ箱ロボット〉を持ち込んだところ、自然と子どもたちがお世話を始めました。この子自身はごみを拾うことは出来ませんが、周りの子どもたちの助けを上手に引き出して、結果としてごみを拾い集めてしまいました。

末次:子どもたちの気持ちがなんとなく分かるような気がします。先生のロボットを前にすると、ついつい足を止めて助けてあげたくなっちゃうんですよね。完璧じゃないところが、僕を必要としているように思える。それと、展示会にいたロボットの中で気に入ったのが、昔話を聞かせてくれるけど、途中で大切な言葉をモノ忘れしちゃうロボットです。こんなのありか?!って思いました(笑)

岡田氏:〈Talking-Bones〉ですね。桃太郎や浦島太郎のお話をするんですけど、肝心なところを忘れてしまうロボットです。忘れてしまったところを周りの人から教えてもらって、言葉を補いながら話を進めます。

末次さんもおっしゃったように、私たちのロボットは、どれも完璧では無くてそれぞれが弱さを持っているんです。そして、その弱いところを周りの人たちに開示し、助けてもらうことを前提にデザインされている。

こういうポンコツで弱々しいロボットだからこそ、人の強みや優しさを引き出し、ちゃっかり何かをやり遂げてしまうと言えますね。そして、手伝った側の人たちも「手伝えることができた」という喜びや満足感から、自己肯定感もグンと上がる。そういうロボットと人の関係性っていいなと思うのです。

末次:あえて弱さを見せるということですね。一般的に、弱さは恥ずかしいものであり、他の人には隠したいものという考え方が根付いているように思います。でも、先生の研究はそのような考え方とは少し違いますよね。

僕らの会社(アミタ)も、今の社会には弱さを認めて、向き合うことが必要だと考えています。アミタは、人を含む全ての自然のものは、常に変化する不確実で弱いものだと捉えています。弱いからこそつながって、互いに補い合うことで大きな強さを発揮する。個々や部分は変化し続けるけど、すべてがすべてに関係し合うことで全体では安定を保っている自然は、まさに弱さの集合体です。アミタではこれを「弱さの哲学」と言っています。

岡田氏:〈Talking-Bones〉アミタさんの「弱さの哲学」、とてもおもしろい。能力の高い個人が1人で頑張るよりも、弱さを持った人たちが大勢集まったほうが、より柔軟な力強さを持てそうですね。

私のロボットと共通性がありますね。何でも1台でできる高性能ロボットは、お金がかかるし故障も多い。できることをそぎ落として、周囲の力を借りてなんとか成し遂げるロボットのほうが、社会性が高く、なによりお得です(笑)

価値観のシフト

末次:おっしゃる通りです。岡田先生は、なぜ、このような研究を始められたんですか?

岡田氏:これまでロボットというと、「こんな機能があります、こんなことができます」というように、機能や能力を競い合うものだったんです。でも、ここ数年で世の中の価値観がだんだんシフトしてきている感じがします。

利便性の高いシステムが我々を本当に幸せにしてくれるのか?ちょっと手間がかかるくらいでも良いんじゃないか?という風に、みんな、隙のない機能競争に違和感を覚え始めている。「不便益」という言葉をお聴きになったことはありますか?不便であることの価値を見出すような研究も進んでいますね。

末次:「不便益」、面白い概念ですね。確かに近代化の流れでは効率性や利便性が追求されてきましたが、今ではその方向性自体が問い直されてますよね。最近では、中学校や小学校の教材でも、先生の〈弱いロボット〉が題材として使われていると聞きました。本当の幸せや豊かさとは何だろう?という、とても根本的なことが今、人々の間で大きな関心になりつつあると思います。

岡田氏:同感です。人とロボットの関係性で言うと、「何かをしてくれるロボット」と「何かをしてもらう人」という風に、両者の間で役割の線引きをしてしまったが故に、人はロボットに対して過度に期待しすぎているとも思います。次第に共感性も失われ、「もっと正確に!もっと静かに!!もっと早く!!!」と、もっともっとという要求水準をどんどんエスカレートさせてしまうんですよね。

利便性の高いシステムは、時に、人の傲慢さや不寛容を引き出してしまいます。自力でゴミを拾い集めるロボットがちょっとでも粗相をしたら、「なんでちゃんとやってくれないの、あなたロボットなのに」と不快な気分になってしまう。家電製品や電車の遅延なんかもそうですね。便利さや正確性への要求はきりがない。

だから私の研究では、「やってもらう」だけじゃなくて、「やってあげることができた」という状況を大切にしています。なんでも出来ちゃう機能的なロボットよりも、ちょっとポンコツで不完全なロボットのほうが、人の優しさ、つまり手助けや関係性をうまく引き出して共同性を生みだす力を持っているようなんです。

末次:それ、すごくわかります。人は誰しも心の中に、「誰かの役に立ちたい」という想いを持っています。でも、同時にちょっと自分勝手な自分もいる。どっちも本当で、そういう人の気持ちは周りの環境や他者との関係性のなかで変化していきます。だからこそ、人の優しさを引き出す仕掛けが社会に必要だと思うんですよね。

そのきっかけが、先生の〈弱いロボット〉たちであり、アミタが色んな地域で展開している互助コミュニティ型の資源回収ステーション「MEGURU STATION®(めぐるステーション)」だと思います。

MEGURU STATION®について、ちょっと紹介させていただくと、これは家庭ごみを持ってきていただき、資源として分別回収する場所なんですが、リユース市やお子さんの遊び場、住民の方の団らんの場所なんかが併設されていて、集まる人たちの関係性が自然と増幅していくコミュニティ空間になっています。どんな立場のどんな人でも、絶対にお家のごみは出しますからね。地域の方々に共通するアクセスポイントが、MEGURU STATION®というわけです。

東日本大震災後に宮城県南三陸町で始めて、今では奈良県生駒市や、兵庫県神戸市、福岡県大刀洗町にも展開しています。

生駒市や大刀洗町には小型のバイオガス装置も設置されていて、「メタンくん」と呼ばれています。その装置に家庭の生ごみを投入すると、メタン菌が発酵してくれて、バイオガスと液体肥料ができるんです。可燃性のバイオガスはコーヒーを淹れるのに使われたりしてますし、液体肥料は持ち帰り自由で地域の家庭菜園や花壇に使用されています。

生ごみは「メタンくんのごはん」で、以前の汚いゴミというイメージじゃなくなったという方もいらっしゃいます。

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岡田氏:自分たちで持ち込むわけですよね。手間がかかるけど、その分、ごみがちゃんと資源になるとか、誰かに会って話ができるとか、そういう喜びがあるということなんですね。持ってきてもらう分、回収コストが下がるし資源化率は上がる、地域のコミュニティも豊かになる、良い取り組みですね。

末次:そうなんですー!って、宣伝みたいになっちゃいました(笑)

「ありあわせ」だからこそ生まれるイノベーション

末次:そういえば、一番初めに先生のロボットを見たときから、すごくお聞きしたかったことがあるんです。新しいロボットを作る時のアイデアって、どういう風に生まれてくるものなんですか。やっぱりこう、天から降りてくるとか?(笑)

岡田氏:基本的にはあんまり考えてないですね。

末次:考えてないんですか!(笑)

岡田氏:行き当たりばったりであることが、結構大事な要素なんです。

僕や研究室の学生たちは、新たなロボットを考える時にあんまり目標とか目的とかを考えたくない、ということが前提にありまして。なぜかというと、目標が定まった途端、そこに向かって、まっしぐらに課題解決を図ろうとしますよね。出来る限り効率的で最適な方法を見つけて突き進んでしまう。そうするとかえってイノベーションが起きなくなってしまうんです。

ロボットでいうと、「〇〇してくれるロボットを作ろう!」という目標が立つと、すぐに技術面での競い合いが生まれてきます。例えば、「ごみ清掃ロボット」が目的になると、ごみの位置と形を感知する高性能なセンサーがいるね、次にごみを拾うためのアームがいるね、ごみの形状や重さに合わせてアームは何種類これだけの耐久性が必要で...という具合です。

しかし、僕らはロボット技術の専門家ではないし、予算だってそんなに潤沢ではないので(笑)、すぐに負けちゃう。明確な課題を設定した途端に、そこに競争が入り込んできて、勝ち負けのあるいや~な世界、レッドオーシャンになってしまうんです。

だけど、目標を明確に定めず、その時その時、身近にあるものをうまく組み合わせてみると、意外と新しい価値が生まれてきたりするんです。そうすると、人と競わなくてもいいブルーオーシャンで楽しい仕事ができちゃうんです。

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末次:即興の組合せで、新しいモノをつくっちゃうんですね。

岡田氏:はい。このような「ありあわせ」をうまく活かして、その場をなんとか凌いでいく方法は、「ブリコラージュ」といわれています。私は「弱者の戦法」とも呼んでいます。

例えば、「オーディオアンプを作ろう!」って決めて秋葉原なんかで電子部品を買ってくるとするでしょう。そしたら、当たり前ですけど、アンプができるんですよ。でも、私が子どものころは、そこかしこに古いブラウン管テレビや廃棄されたラジオなんかがあって、その日たまたま拾ったり見つけた真空管や電子部品で何が作れるかなって考えてると、自分でも想像していなかったものが生まれるんです。そのほうがイノベーティブだなと思うんですよね。
ビジネスでもそういうことありませんか?

末次:あー、あります。「ありあわせの中から新たな価値を生み出す」という先生の研究スタイルをお聴きして思ったのが、うちの100%リサイクル事業ですね。「この世に無駄なものなどない」をモットーに、色んな企業の工場から集まってくる廃棄物を完全リサイクルしています。廃棄物って日によって成分や性状、出てくる量が異なるんです。そういう多種多様な廃棄物をたくさん集めて、それぞれの成分を元素レベルで分析します。そして、リサイクル資源のユーザー企業が欲しがる規格に合うように、複数の廃棄物の適切な組み合わせ(レシピ)を考えて、混ぜていく。

「分別してリサイクル」とは逆の発想ですね。カレーを作る時に、色んなスパイスを組み合わせて、キーマカレーやグリーンカレー、食べたい人のリクエストに応えて様々なカレーを作る。日によって届くスパイスは違うけど、それらを余すことなくすべて使う。
これうちの独自技術で「調合」って呼んでるんですが、単品ではリサイクルが困難な廃棄物も、組み合わせることで価値ある資源に生まれ変わらせることができます。

これってブリコラージュですよね!

岡田氏:立派なブリコラージュです。産業廃棄物からすべてを資源化するのには、かなりの技術が必要だったでしょう?すごいですね。

アミタさんが、不確実で不安定な廃棄物を見てリサイクル技術を編み出したように、基本的に、予定調和的なものの中からイノベーションは生まれないと思います。イノベーションを起こすには、お金や人、その他何かしらの制約が必要です。「お金はある、人もいる、何でもあります」と言った瞬間に、新たな革新を起こすエネルギーがたまらないというか。ちょっとした制約や偶然のありあわせを上手く利用することで、新しい価値が生まれるんですよね。

末次:制約があるからこそイノベーションが起きるというお話は、とても共感します。

岡田氏:先ほども言いましたが、私は元々ロボット技術が専門ではないんです。これもまた偶然で。電子工学科に進学したんですが、研究室に配属されるときに、たまたまじゃんけんで負けてしまったんです。それで入りたかった研究室ではなく、音声科学の研究をすることになりまして。そこからコミュニケーションの研究をしようということになり、その研究道具としてロボットを作り始めたわけなんです。だから専門的な知識もなく、ありあわせのものでなにができるかなと。

末次:じゃんけんですか。。。もうそれは運命ですね。でも、専門知識がなかったからこそアイデアが生まれたのが〈弱いロボット〉ですよね。まさにブリコラージュ!

岡田氏:そうですね。「ごみを拾うロボットアームを作る技術も予算もないんだったら、子どもたちの手を借りてしまってはどうか...」って、普通はこういう感覚ではロボットを作りませんから。

"お客さん"から"当事者"へのマインドシフト

末次:話が変わりますが、先生の研究室に入ってくる学生さんは、どういう人が多いんですか。

岡田氏:豊橋技術科学大学に進学してくる8割くらいの学生は、全国にある高専の出身です。高専時代にロボットやプログラミングのコンテストなどで活躍してきた学生さんが、ちょっと変わったロボットを作ってみたいと私の研究室に入ってきてくれます。

新しく入ってきた学生の多くは、「この研究室は、自分にどんな技術や知識を提供してくれるのか」と期待して研究室にやってくるわけです。小学生の頃から約12年間、彼らは教室で座って待っていれば先生から知識を提供してもらえる環境で過ごしてきたのですから、このような考え方になるのは当たり前だと思います。そのため毎年私の最初の仕事は、研究室に入ってきた学生たちを、この受身型の姿勢から参加型の姿勢にマインドシフトすることです。

具体的には、なんでもいいので小さなプロジェクトをいくつも作り、そこに参加してもらうわけです。先生に何かを提供してもらうという状況から、自らが参加して推進する状態へと徐々に移行させるんです。すると学生も、自分の得手不得手がだんだん分かってくる。最初はプロジェクトの周辺から様子を伺うのですが、自分の強みが分かってくると、次第にプロジェクトの中心になって活躍できる人間になっていく。その参加のプロセスこそ、実は学生にとって大きな学びになるんです。これを半年間かけて行います。

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末次:学校と言えば、先生たちが色んなことを教えてくれる場所というイメージが強いですが、そのような意識を変えることから研究は始まるのですね。

さきほどお話した「MEGURU STATION®」でも、地域に設置して間もない頃は、アミタの社員がごみ分別のお手伝いをしていました。でもそのうち、住民の方々の間で「これは投入したらだめだよ」とか「野菜くずは小さく刻んで持ってきたほうがうまくいくよ」とか、互いに教え合ったり協力してメンテナンスしてくださるようになりました。これってまさしく参加型の姿勢だと思うんですよね。最初は面倒だなと思っていた人たちも、徐々に「もっと良くしたい」と自分の意志で思うようになって、それが参加動機になっている。

岡田氏:参加している人自身が楽しみながら、その行動がより良い地域社会に繋がっているという仕組み、とてもいいですね。

チキンラーメンの「くぼみ」から教わったこれからの社会

岡田氏:参加型という繋がりで、面白い話があります。
末次さんは、チキンラーメンはお好きですか?

末次:チキンラーメンですか?ええ、僕はそのままバリバリいっちゃうタイプです。

岡田氏:あ、お湯かけないんですね。。。
この間たまたま食べたんです。そしたら、麺の真ん中に「くぼみ」があったんですね。何かと思ったら、卵をのせるための「くぼみ」だったんです。「Wたまごポケット」と言うらしいんですが、試しに卵をのせてみると、黄身がいい感じにのっかって、白身がうまく抑え込まれる。でも、ここに卵をのせなきゃいけないってことは誰からも強いられているわけではないんですよね。

「卵を加えても、加えなくてもいいんだよ、それは自由ですよ」という感じで。あと、卵をのせるだけじゃなくて、海苔を刻んでみたり、ねぎを刻んでみたり。その手間や工夫によって、自分だけのオリジナリティや達成感、そして有能感なども得られる。真ん中の「くぼみ」は、あらかじめ人に行動を強制しているわけではなくて、肘で軽く突くぐらいのちょっとした手掛かりを与えているんですよね。

末次:関われる余地というか、隙間みたいなものですね。

岡田氏:卵が同封されているわけでもないし、誰かが調理をしてくれるわけでもない。むしろ人間って、プロの料理人が調理したラーメンが出てきても、「今日なんかスープぬるくない?」とかクレーマーになっちゃったりするんです。だけど、自分が工夫したものについては、ちょっとぬるくても具材の組合せが微妙でも、「これはこれでおいしいんだよな」って納得できちゃうんですから、おもしろいですよね。

このすべてを提供しているわけではないというところが、人の幸せをうまく引き出しているんだと思います。参加する余地というか余白というか。今までは、完璧にしてあげることが相手の幸せにとって大事な事なんだというふうに考えられていました。
でもむしろ、こういう余白がその人の持っている能力を自分化して、そこで生き生きとした幸せな状態、ウェルビーイングを作り上げるうえでは大事なのだと思います。

末次:全部提供しない余白の大切さ、とても共感します。すぐに結び付けて恐縮ですが(笑)、MEGURU STATION®も、作りこまれたテーマパークなんかと違って、住民の方々が主体的に場を育てていくことをコンセプトにしています。あえて未完成で始めるというか。そうすると薪ストーブを設置して子どもたちにまき割を教えたり、冬にこたつを持ち込んで甘酒飲みながらトランプしたり、DIYのお得意な方が丸太のベンチをこさえてくださったり、持ち込まれた資源を使ったおもちゃ作りの教室が始まったり。。。しだいに地域によって個性というか、味が出てきますね。

岡田氏:なるほど、それは楽しそうですね。完璧なものを提供しているわけではなく参加する余地があって、人の工夫をうまく引き出す。工夫した方もなんとなく達成感がある。それで、みんなでこの街を綺麗にしたとか、エコシステムを作り上げているという、その満足感が人を幸せにしているわけですね。

そういう仕掛け作りというか、エコシステムを作るっていうのは、これから面白いテーマになってくるんじゃないかなと思います。

末次:そうなんです。人の持つ優しさとか社会的な動機性が組み合わさって、はじめて完成するモデル。そんな一見、不確かなものを当てにするというのは、いわゆる完璧なものを商品として提供している企業からすれば、ポンコツなシステムに見えるかもしれません。でもその方が、みんなの自分ごとになり、大切にしてくれるんです。

弱さが引き出す暴力性

岡田氏:これまで、弱さや不完全であることの良い面についてお話しましたが、〈弱いロボット〉を作っていて、僕がまだ解決できていない問題が一つあります。弱さは人の優しさや工夫を引き出すということを言いましたが、一方でその弱さが暴力性をも引き出してしまうという側面もあるんです。それを回避する良い方法や答えにまだ辿り着いていないんですね。

末次:なるほど。まさに今ウクライナで起きている戦争も当てはまる気がします。

岡田氏:そうです。ウクライナの弱さが欧州各国の優しさや強みを引き出している一方で、ロシアという大国の暴力性をも引き出してしまっているわけです。「弱さをさらけ出すだけでいいのか?」という、その辺の整理がまだなかなかついていないんです。末次さんは、弱さを開示することで出てくる、ネガティブな部分をどう解決すればいいと思われますか。

末次:アミタでは「弱さの哲学」に基づいてビジネス設計するときに、イギリスの人類学者が提唱した"ダンバー定数"というロジックを参考にしています。ダンバー定数は、人が安定的に関係を維持できる人数は150人程度だという定説で、例えば、地域の方に生ごみを分別していただいて回収するモデルの場合、一家族3〜4人として40〜50世帯の顔が見えるコミュニティを一単位としてデザインしています。

それぐらいの規模だと、お互いの顔がみえている状態になるので、互いの信頼関係が働いて、異物の混入率がとても低い。一方で、不特定多数の人が利用する駅のごみ箱には、入れてはいけないものが入っていたり、時にはもっとひどいいたずらをされているのを見かけますよね。恐らく、お互いの関係性が見えなくなった瞬間に、人はある種の暴力性を帯びるんだろうなと思います。

あともうひとつ、私が感じるのは、思考を止めたとき、想像力を失った時と言い換えてもいいかもしれませんが、そういう時に人間が持つ暴力性が表に現れるんじゃないかなと。自分が見たいように、考えたいようにものごとを見てしまうと、それに反するものに対してすごく攻撃的になっちゃう。だからこそ、俯瞰して自分を眺めたり相手に寄り添ったりすることが大事なんじゃないかと。

岡田氏:なんかその感覚分かります。自分と繋がっている人とか、気持ちがわかる相手を攻撃しようなんて思いませんもんね。顔の見えるコミュニティ規模で、我々も参加して嬉しい、共に何かを成し遂げることが出来て嬉しい、という関係性をつくっていくことが大切だとよく分かりました。

末次:ぜひ共にやりましょう!まずは、アミタと先生の研究室という、小規模コミュニティからスタートということで。先生のロボットたちにMEGURU STATION®へ出張していただきましょう(笑)。

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対談者 | 岡田 美智男 氏(豊橋技術科学大学 情報・知能工学系教授)

1987年東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了。工学博士。国際電気通信基礎技術研究所(ATR)などを経て、2006年から現職。ヒューマン・ロボットインタラクション、社会的ロボティクス、コミュニケーションの認知科学などの研究に従事。平成29年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(科学技術振興部門)などを受賞。主著に『ロボット―共生に向けたインタラクション』(東京大学出版会、2022年)、『弱いロボット』(医学書院、2012年)、『〈弱いロボット〉の思考』(講談社、2017年)などがある。

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