半径30分に頼れる人がいる社会
~資源も気持ちもめぐる、これからの地域のかたち~

リーマンショックで「バリキャリ」のポジションを失い、ゼロから立ち上げた"頼り合い"の仕組みは、やがて地域コミュニティという社会インフラへ。
資源と人の気持ちが"めぐる"ことで孤独を無くす、AI時代だからこその、人のぬくもりを土台にした共助のデザインとは?

日常的な資源(ごみ)出しを起点に関係性を紡ぐアミタと、「半径30分に頼れる人がいる社会」を本気で実装するAsMamaが、ついに出会った!これから何が起きるのか?!しまうまフレンド6組目は、「だれも取り残さない」を合言葉に地域共助の最前線を走る、株式会社AsMama代表取締役社長の甲田恵子さん。レッツ!しまうまトーク!


目次

オルレアンの包囲を解け―令和のジャンヌ・ダルク

令和の都市は、核家族という城壁に囲まれたオルレアン※、すなわち包囲された孤立空間。
重い保育の門、残業の塔、キャリア断絶の空堀。
孤独は矢のように降り注ぎ、ママたちは静かに希望を手放しかけていた――

そのとき翻ったのは、真っ白な「おむつの旗」。掲げるのは令和のジャンヌ・ダルク、甲田恵子。
「だれも取り残さない」の文字が染め抜かれたその布は、かつて夜泣きを受け止めた勲章であり、いまは同志たちへの"結び"の合図。彼女は愛馬(ママチャリ号)のたてがみを優しく撫でながら、スマホを操り「半径30分で頼れる人」を結びはじめる。

末次:孤立の包囲は破れるのか?

甲田氏:砦は一つずつ落とせます。送り迎えの砦、病児の砦、復職の砦。

末次:ならば私たちは補給線を担おう。地域と企業の力で、あなたの旗を前へ!孤独に苦しむすべての人々のもとへ!

甲田氏:真の自由と平和を求める皆の願い、その想いの力を束ねれば・・・我らに不可能はない!いざ!

※オルレアン:百年戦争で包囲されたフランスの都市。ジャンヌ・ダルクの「オルレアン解放」で知られる。

「バリキャリ」を襲ったリーマンショックと人生の問い

末次:はい、とかいう妄想をしてみました(笑)。甲田さんの記事を読んで、初めに感じたイメージがジャンヌ・ダルクだったんです。みんなが諦めているところに、信念をもって光のごとく現れてみんなを救う、みたいな。すみません、勝手なイメージで(笑)。
強い女性のイメージがある甲田さんですが、まずは創業の背景から伺えますか。会社員をされていた頃から、どんな変化があって起業に至ったのか。

甲田氏:起業前はベンチャーの雄と言われた投資会社で、PR/IRの室長を務めていました。当時20代で、自分のポジション・給料・自由度をどう上げるのかばかり考えているような、ハイキャリア志向の割と野心的なサラリーマンでした(笑)

末次:バリキャリ!(笑)

甲田氏写真甲田氏:完全にバリキャリ路線でしたね(笑)出産してからもアクセル全開で。一旦会社から保育園に迎えに行って、子どもにご飯を食べさせて、お風呂に入れて、夫とバトンタッチで、また会社に戻って仕事をして、終電で家に帰る。それが日常茶飯事でした。
でも、リーマンショックで9割の社員が解雇されると知らされたとき、「私はいったい誰の何のためにこれまでの人生を生きてきたんだろう」と。子ども1人を夫婦でジャグリングして、「これは誰の幸せにつながってるんだろう」とすごく考えたんです。

末次:リーマンショックは、投資の世界の価値基準が反転する瞬間でしたよね。

甲田氏:はい。上場企業でIR担当をしていたにも関わらず、まったく知らされていない社長交代に関するプレスリリースが突然出て、足元から大地が崩れる感じでした。私自身も、解雇の発表が1月にあって、3月末で退職するという。もう本当に晴天の霹靂で、まさかのサラリーマンを辞めるという...(笑)

末次:IR担当だったのに!それは確かに何を信じていいか分からなくなりますね。

甲田氏:そんなことがあって、改めて自分の人生を考えたんです。当時、私は子育てをベビーシッターや実家の母に助けてもらえていたのですが、職業訓練校に通うと、周りには「助けてくれる人がいない」ことで、仕事や子育て、夢を次々と諦めていく人たちが多くいました。
少しの助けがあればキャリアも挑戦も、介護との両立だって続けられるのに。同時に、日中は「手伝えるよ」という人にもたくさん出会って。「あれ?単純に出会えていないだけ、つながれていないだけ?」と思った瞬間、そのまま事業計画書的なものを作って、住んでいる地域の市役所に持ち込み、行政で取り組むべきではないかと伝えると、「創業支援課へどうぞ」と相手にされませんでした...(笑)それでも、これからの時代に絶対に必要な"インフラ"だという根拠のない確信があって。誰もやらないなら自分がやる、と決めたんです。

末次:アミタにもママさん社員がたくさんいます。アミタにくる前、出産を機会に退職して、その後社会復帰をしようとしたときに、面接に行くにも子どもの預け先がない、仕事をするには子どもを保育園に預けないといけないが、仕事をしていないと保育園には預けられない......もう八方塞がりでどうしようもなくメンタルが壊れた、というのを聞いたことがあります。アミタでは、困ったときはお互い様というライフラインをつくるために、社員の消滅有休を、育児や介護・病気・就学などで長期に休んだり時短勤務となるメンバーの賃金補填に回せる仕組みを実装していたり、一定のルールのもと子連れ出勤を可能にしています。
甲田さんは、その壁を事業で挑戦されたと思うのですが、どのように突破したのでしょうか。

甲田氏:mixiやアメブロに「子育てを頼れる人がいないから、ママが自分の仕事ややりたいことをあきらめる。そんな大人の背中を見て育つ子供たちは大人になることに夢を抱かない。誰もが育児も仕事もやりたいことも思い通りにかなえられる、ご近所サポートの仕組みをつくろう」――そんな構想を書いたら、当時の言葉で言う"炎上"みたいな反響が起きて。広報の仕事をしていたので、社会の空気がうねる感覚がなんとなくあり「いける」と思いました。これは誰かがやらなきゃいけない、サムシング・グレートだ、と。
「この事業、一緒にやりたい人」と投げかけると、私を知らない人からも「やりたいです」と連絡が山のように来て。そんな勢いで会社は立ち上がりました。ここからが本当の苦労なんですけどね(笑)

「意外と根性ないね」雨の中で泣いた日々

末次:立ち上げ期の資金繰りや運営は、過酷でしたか?

甲田氏:最初の18か月くらいは、まさに収益モデルの模索期でした。20人~40人規模のイベントを数千円の参加費をいただいて実施していても、事業費には全然届かない。協賛を募ってイベントをやれば、参加者の心理は「何か商品を売られるのかな」と構えるし、企業側にも持続的なメリットが出しにくい。大型イベントは手間のわりに残るものが少なく、「私たちはイベント屋になりたいわけじゃない」と行き詰まりました。

末次:その壁はどう乗り越えられたんですか。

甲田氏:正直、一度くじけかけました。仲間に「どうしていいか分からない」と泣き言を言ってしまったときには、全員から物が飛んでくるんじゃないかと思うぐらいの野次の嵐が吹き荒れて、一気に人が離れました。残ったのは、当時妊婦だったスタッフ1人だけ(笑)。
そんなときに、ETIC.が開催する社会起業塾に出会いました。入塾して、最初に言われた一言は「あなたはユーザーの顔が見えていない」。そこで1,000人規模のユーザー調査を始めたものの、子育て世代の警戒心は強く、雨の中で何百人に声をかけても集まったアンケートは2枚。心が折れそうでメンターに電話をしたら「意外と根性ないですね、バリキャリやってたのに」と言われて(笑)。「絶対に1,000件集めて辞めてやる」と半ば意地で続けました。

末次:辞めるために、1,000件(笑)。

甲田氏:ところが、そのあと、調査は2週間の予定が4か月に延びるほど濃密になったんです。保育や送迎に困った実体験を震える声で話してくれる方、反対に「自分は社会の役に立てていない」と感じている方、支援できるポテンシャルのある方、様々な方に出会い、"困りごと"と"役に立ちたい"の両方に確かな手触りがあると分かった瞬間、「ちゃんとつながなきゃ」と腹が決まりました。
同時に、子育てにまつわる困りごとだけではなく、住まい・お金・食など生活全般の意志決定をする際に、信頼できる専門家や企業とつながっていない実態も見えてきました。

末次:そこでキャッシュポイントを見直したんですね。

甲田氏:はい。本当に良い情報を届けたい信頼できる企業・専門家の広報と、生活に関する確かな知識を必要としている人たちを交流・体験型のイベントで正しくマッチングする。その"出会いの設計"をキャッシュポイントにしたところ、収益化につながりました。例えば「ママのためのお金のセミナー」「子育て世帯の住まい探し」などのテーマを組んで、事前に3,000〜4,000世帯へアプローチして関心層30人を丁寧に集める。企業満足度は非常に高く、その後の個別相談の成約率が8割に達することもありました。
その際、参加者には必ず"3つのお土産"を持って帰ってもらうようにしていました。
①講師企業を"友だちのように"頼れる相手としてつなぐ
②参加者同士で近所の知人友人をつくる
③会場にいるサポーター(支えたい人)ともつながる
この三方向で関係性を編むわけです。

末次:ただ、単発の出会いでは"文化"にならない。2回目、3回目の接点を設計するのが要になってきますよね。

甲田氏:おっしゃる通り、そこが難所でした。企業は新規リーチを好むので、同じ面子で何度も集まる設計は敬遠されがち。一方で、つながりと困りごと解決を"半径30分"で加速させるには、継続が不可欠です。

末次:ここまでお話しを聞いていると、やっぱりかなりタフですよね。甲田さんのモチベーションといいますか、使命感やファンダメンタルみたいなものはどこから組成されているんでしょうか。

甲田氏:幼いころからの原体験ですね。父が"何事もやり切れ"という戦国武将のような人で、物事は「やり切ってから卒業」するのが家の流儀。仮に乗り気になれない習い事でも、習字なら段位を取り切って、剣道なら大会で優勝してから、やっと辞めさせてもらえるんです(笑)。だから常に理想の自分とのギャップに向き合う癖がつきました。
経営も同じで、課題は尽きない。それでも「半径30分で頼り合えるコミュニティ」を社会の当たり前にするために、やり切るしかない。理解されない時期には、"宗教"と誤解されることさえありました(笑)。地域共助の社会インフラづくりは、時間をかけて文化にしていく営みだと今は確信しています。

甲田氏と末次対談風景

残高ゼロの夜からのV字回復

末次:それで最初の暗いトンネルを抜けるような事業フェーズを乗り切ったと。ただ、イベントをベースに収益化するというのは不確実性が高い事業モデルですよね。それから、当時開発されていたアプリも利用者からは1円ももらわずに自社で負担していたとか。資金繰りはどのようにされていたのでしょうか?

甲田氏:今でも思い出すと背筋が凍るんですが、実は本当にお金がなくなる瞬間があったんですよ(笑)創業期に、専門外のメンバーに経理を1年ぐらい任せていたんです。ある日、お世話になっている会社さんが店舗を出されるとのことで、夜中にお祝いのお花を贈ろうと思って、インターネットバンクにログインしたら――残高の桁数が想像以上に少なくって。

末次:深夜に残高が......それはホラーですね(笑)。

甲田氏:桁数が全然違うんでびっくりして。でもそれに気づいたのが夜中の1時ぐらい。もう朝まで寝れなくって。翌朝、そのスタッフに連絡して「毎月報告してもらってるあの売上、どうなってるのかな?順調だったよね?」と聞くと、「あれは見込みなんです」と返答がきて。見込みってどういうこと?みたいな(笑)メインバンクにも、雀の涙ほどしか残金がなくって、あと3か月後には尽きますと言われてさすがに慌てました。

末次:何に使われていたんでしょうか...?

甲田氏:子育て支援システムの開発費が中心です。創業初期ゆえの管理不備も重なり、私も「順調」と信じすぎていました。全部をマイクロマネジメントしない、と一歩引いたら......大ごとに。そこで腹を括って、投資ファンドの代表をされていた方に「助けてください」と連絡したんです。でも、「事業計画がなければ誰からもお金は借りられないでしょ」と現実を突きつけられ。とはいえすぐにお金が必要だったので、そこからはもう、得意のピッチコンテストに出まくって、賞金稼ぎをしていました(笑)

末次:あのHPに上がっているものすごい数の表彰歴はそういうことだったんですね......!

甲田氏:はい。とある事業コンテストで優勝したときも、"2,000万円分のコンサル"か"300万円の現金"が選べて、普通の人なら2,000万円のコンサルを選ぶんですけど、私は即答で「現金でお願いします!」とお願いして(笑)もうそれでなんとか日銭を稼いでいました。そして、日本財団さんと、ソーシャル・インベストメント・パートナーズというところで組成したJapan Venture Philanthropy Fundで、最終的には条件付きで株式に転換できるタイプの3,000万円の融資を調達して。そこから事業計画を立て直しました。

末次:事業計画を立て直したということですが、どのようにモデルを変えたんですか。

甲田氏:イベント開催に依存した労働集約型のビジネスモデルでは、収益が不安定で健全な経営とは言えませんでした。また、本来の目的である「人と人のつながりの増幅」や「困りごとの解決」も、十分に実現できていない状況で。そんなとき、プロボノで入ってくださったコンサル会社がフィット感のあるビジネスパートナーを探してくれました。
そこで生まれた新しいビジネスモデルが2つ。

①コミュニティ付きマンション
不動産会社と組み、マンション販売時に「住民同士がつながり、困った時に頼り合えるコミュニティ」を付加価値として提供。不動産会社からは、5年間のコミュニティ運営費をイニシャルコストとして受け取る仕組みです。
②商業施設のファンコミュニティ化
ECに押される商業施設を「コミュニケーションハブ」に変え、地域のファンを囲い込む。定期的な交流の場を作ることで、買い物だけでなく、子育ての預かり合いなどもできるコミュニティを形成。商業施設から継続的に費用をいただくモデルです。

①の事業に、とある不動産会社が「面白い、やってみましょう」と賛同してくださって、当初2年の販売計画だったマンションが「コミュニティ付きマンション」として、わずか2か月で完売したんです。"コミュニティが付加価値になる"ことを肌で確かめた瞬間でした。

末次:それはすごい。住民は何に価値を感じたのでしょう。

コミュニティ付きマンションイメージ

甲田氏:「困ったとき、声をかけ合える安心」です。入居前懇親会でどうしてこのマンションを購入したかを直接聞くと、「隣近所で子どもを預け合えることで仕事も続けられるんじゃないか」「自分たちに声をかけてくれる人がいるマンションにはすごく安心感がある、資産価値が上がると感じて選びました」とおっしゃっていました。共働きでも続けられる、万一のときも孤立しない、資産価値にもつながる――そんな"見えない備え"を買ってくださったんです。

末次:住民のみなさんと日常的にコミュニケーションするのは、社員さんですか。

甲田氏:社員常駐だと限界があります。そこで、各物件で"月1先生"を募りました。たとえば「昔ピアノを習っていたから近所の子に教えたい」「海外赴任経験を活かして英語のABCだけでも」といった方々です。ゴルフ、DIY、手作り弁当......といった部活(サークル)をマンション内に育て、先生役のみなさんに定期イベントを運営してもらう。私たちはアプリと設計で"頼り合いの導線"を下支えします。結果、趣味と交流が自然に循環し、非常時の支え合いにもつながるんです。

マンションで機能するなら、小さな自治体でもいけるんじゃないか?と思い、日本で一番小さな富山県舟橋村でまちづくりをお手伝いしました。交流イベントを重ねると関係人口が増えて、アプリ上では「物の譲り合い」「送迎の助け合い」が日常化しました。「この町、いいね」が移住検討につながり、村営住宅の入居も進みました。
頼り合いの仕組みが暮らしを後押しし、出生率が1.5%から1.9%へと改善した事例は内閣府にも取り上げられ、デジタル基盤×コミュニティで自己実現が進むという相関関係について、富山大学が研究して論文に書いてくださったこともあります。今は自治体連携モデルとして拡張中です。公共交通や商店が減っても、住民同士の支え合いが回ればウェルビーイングは守れる。人が育ち、場が育ち、困りごとを住民自ら解く――人口減少社会でめざすべき"地域OS"の形が、少しずつ見えてきました。

末次:今のお話を聞いて、実はアミタも似た道を歩んできたんだと実感しています。少し話が脱線しますが、アミタの創業精神は「What is value? 価値とは何か」という考え方なんです。創業当時、産業廃棄物は"価値がないもの"とされていましたが、創業メンバーはきっと自分たち自身にもそれを重ねたんだと思います。20代の若者が、大企業ひしめく世界にぽちょんと放り出されて。でも、大企業のような資金や信用や人脈があるわけではなく、あるのは夢だけ。当時、産業廃棄物を資源として使用するのは「汚らしい」行為だとされていました。物づくりは神聖なもので、製鉄やセメントの現場では1000度を超える「炉」に神棚を祀る神聖な世界。そこで廃棄物由来の資源を使用するなんて、何事かと。でも、オイルショックなどで世の中の状況が変わると、「ちょっとアミタさん、もう一度あの話を」となった。時代の潮流が変わり、アミタの価値づくりが生まれた瞬間です。

だから常に、潜在的な社会ニーズをどう捉え、先行して投資していくかが重要なんです。それが、持続可能な社会へのアプローチだと考えてきました。ただ、時間がかかる分、キャッシュフローは尽きていくので、それを共感・信頼・期待といったご縁の中で紡いで、どれだけ前に進められるかがポイントだと思っています。

甲田氏:アミタさんのやられている事業って、循環という概念をしっかり普及させていく一方で、リプロダクトされたものが高品質でないと選ばれないじゃないですか。いくら概念が良くても。その両立はどうされているんですか?

末次:私たちがやってきたのは、不確実で不安定なものをいかに安定化させるか、ということです。産業廃棄物は、いつ、どれくらいの量が、どのタイミングで出るか不安定ですから、例えて言うと料理で出る調理クズみたいなもので、その日によって量も中身も変わるんですよ。でも、循環の仕組みを作ると、不確実で不安定なものが安定化する、そして新しいキャッシュポイントが生まれる。ただ、コミュニケーションが必要で取引コストが高いので、品質担保には「あなただから信頼する」という関係性が不可欠なんです。理念とビジネスモデルが、ミルフィーユのように重なっている感じですね。

「半径30分に頼れる人がいる社会」を実装する

末次:ここまで事業の変遷をたどってきましたが、いまAsMamaとして注力されている「半径30分で頼れる人がいる社会」の実装は、実際どのようにされてるんですか?

甲田氏:2012年には、「子育てシェア」というアプリを開発し、全ユーザーに保険を適用させながらも無料で使って頂ける子育て共助のインフラとしてローンチし、その後、自治体や企業と連携した特定地域内で使って頂ける子育てや暮らしの共助インフラとして「マイコミュ」というアプリをローンチしました。地元住人や事業者の情報発信から、集客、地域課題解決、資源循環まで、いろんな機能を詰め込んでいます。

末次:機能は分かるのですが、やっぱり「知らない人に子どもを預ける」というのは、ハードルは高くないのでしょうか?

甲田氏:設計が重要になります。情報共有やモノのシェアは誰とでもできますが、子どもの送迎・託児に関してだけは、アプリ内であらかじめ相互認証を行ってつながっておいた日常的に気心知れた知人のみ。不特定多数に見られるわけじゃない。それに加えて、万が一の事故には保険が適用される設計にしました。日本初だと思います。しかも、1時間500円の支払手数料も、保険料も、利用者からは1円も受け取らない。全部自社負担。自治体や企業との連携事業が安定するまではシステム開発のためにいただいている費用はありませんでした。

末次:え、保険と手数料、全部?それ、資金繰り大丈夫だったんですか。

甲田氏:全然大丈夫じゃなかったです(笑)毎月システム開発費が湯水のごとく出ていって、私の役員報酬も月10万円とかで。でも、社会インフラとして誰でも安心して使えるようにしたかった。そこは譲れなかったんです。

末次:使命感、ですね。

甲田氏:はい。今は全国に2,000名以上のサポーターがいて、13万ユーザーが登録、年間2000回以上の交流が生まれています。子育てシェアをベースに「マイコミュ」アプリを設計する時に工夫したのは、オープンとクローズドの使い分けです。

末次:使い分け?

甲田氏:地域開放型のコミュニティと、移住者専用のクローズドコミュニティを分けるんです。例えば「子育てシェアタウン」を推進する茨城県の境町では、境町全体のコミュニティはオープン型で設計しながら、その中には移住者だけのクローズドグループを作って、住居内外とのつながりや共助をサポートしています。顔の見える関係だから、安心して頼り合える。

末次:なるほど。実際の現場では、どんな変化が起きてるんですか?

甲田氏:神奈川県箱根町の「はこねっこ みまもるーむ」は、住民発案で始まった短時間子ども預かり体験が、今ではランチ会や駄菓子の買い物体験会、長期休暇の学童の役割などへと成長し、地域の事業者も数多く協力の申し出があるようになりました。横浜では不動産仲介の民間事業者である日京ホールディングスさんと組んで、住民・地元企業のつながりづくりや地域貢献プロジェクトを実施しています。

末次:でも、それを継続していくことが本当に大変ですよね。

甲田氏:めちゃくちゃ大変です(笑)システムインフラを提供して、場づくりのノウハウもユーザーには無償で教え、確実にパートナー自治体や企業の期待にこたえる地域変容を起すために、あの手この手でチャレンジする。でも主役は地域の人なので、私たちは前に出過ぎず、後ろに下がりすぎず、ずっとモチベーションをコントロールし続けないといけない。

末次:温度管理、ですね。

甲田氏:そうなんです!地域の遊休資産――空きスペース、眠っている人材、使われていない物――を半径30分で回すには、その温度管理が命なんです。関係性って、放っておくと冷めるじゃないですか。

末次:お金は劣化しないけど、関係性は劣化する。

甲田氏:まさにそうです。だからアプリという道具と、人の温かさという燃料を、絶やさず巡らせ続ける。デジタルとアナログ、理念と仕組み、効率と温もり――相反するものを両立させないと、社会インフラは育たないんです。

資源循環と地域共助をつなぐ~善意がめぐる社会インフラ

末次写真末次:人を助けたいとか役に立ちたいという気持ちって、日によって揺れますよね。元気な日は動けるけど、気分が沈むと難しい。だからこそ"気持ちがめぐる仕組み"が必要だと思っています。

私たちが開発している「MEGURU STATION®」※は、そのための装置でもあります。MEGURU STATION®は、住民が資源(ごみ)を持ち込み分別する拠点なんですが、単なる回収場所じゃなくて資源を出しに来る"ついで"に人が出会い直す。実際に、ベンチを置いてみたり、子どもが運営する駄菓子屋さんや餅つきイベントなどの仕掛けも同時に行うことで、意図せずそこで出会った住民同士や多世代が声をかけ合う。そこで生まれる小さな親切心や誰かの役に立ちたいという気持ちが次の誰かの気持ちにつながる。さらには、健康促進や見守り、防災といった地域共助が自然に乗っかっていく、そんな社会インフラにしたいんです。

実際に健康促進という文脈では、千葉大学予防医学センターとの共同研究で、MEGURU STATION®の利用者は非利用者に比べて、要介護リスクが15%低下するという学術的な確認結果も得られました。

※MEGURU STATION®...アミタが提供するサービスの一つ。「互助共助を生むコミュニティ拠点」と「資源回収ステーション」の2つの機能を融合させて、地域課題の統合的な解決を目指している。

甲田氏:ラインを作って終わり、ではないですよね。関係性って、放っておくと薄くなる。

末次:そうなんです。お金は置いておいても劣化しませんが、人間関係資本はメンテナンスが命。だから私たちは"循環"を手段に、自然資本と人のつながりが豊かになる状態をゴールに置いています。2011年の東日本大震災後に定款も見直して、「自然資本と人間関係資本に資する事業しかしない」とよりミッションを明確に、本気でそこに舵を切りました。

甲田氏:そこまで言い切れるのはすごいですよね。

末次:震災直後に、社内の有志で宮城県南三陸町という地域にボランティアに入ったのをきっかけに、住民の方々や役場の方々とのつながりが生まれ、単なる復興ではなく持続可能なまちづくりに伴走することになりました。それから2018年に、同町が取り組む焼却・埋め立てゼロの町づくりの次の一歩として資源ごみの持ち込み拠点「MEGURU STATION®」の実証実験を実施したんです。公共施設の一角にベンチやウッドデッキを置いて、リユース市をやったり、冬は薪ストーブを囲んだり。当時から日常の行動である"ごみ出し"を"資源出し"に変えるとともに、人が出会い直す場所にすることで、関係性が豊かになるのではないかという仮説を立てていました。
そしたら「久しぶり!」って再会が日々生まれるようになって。アンケートを取ったら、新しい知り合いができた人が半分近く、外出や会話が増えた人も半数以上いて。福祉の方々が「これは孤立解消になる」「健康にもいい」と注目してくださって。その手応えを、いまは神戸や福岡のMEGURU STATION®へ広げているところです。

甲田氏:既存の資源回収との"かぶり"は、どう整理しているんですか?

末次:環境だけでコスト比較すると"燃やすほうが安い"になりがちなんです。だから、環境政策という縦割りの中で考えるのではなく、総合政策の中で位置づけを再設計することが重要だと思っています。子育て・健康・防災・見守りの拠点にもなると。
たとえば、南三陸町の事例ですが、地域住民から回収した生ごみを発酵させ液体肥料にして農地へ還元。これまでごみを収集運搬していた人が、新たに生ごみという資源を回収し、さらに液肥の散布まで担うようになると、農家さんから「ありがとう」と声をかけられることも。資源だけじゃなく、気持ちも情報も巡りはじめて、コミュニティの温度が上がるんです。

甲田氏:その資源循環も、アミタさんにとって大きな生態系の一プロセスに過ぎないのでしょうね。

末次:そうなんです!経営も生態系(エコシステム)に倣いたいと思っています。代謝して、関係して、動的に続いていく。卵の殻だって「ごみ」じゃなく「炭酸カルシウム95%」と見立て直せば資源になる。日本には"直して使う""見立て直す"文化がありますよね。循環型社会って、そうした文化の延長線上にあるはず。資源を入口に、コミュニティづくりやウェルビーイングまで、ひとつの循環でつないでいけると思っています。

甲田氏:そう考えると、すべて宝物に見えてきますね。

AIが進化する時代だからこそ追求する「人間の温かみ」。半径30分以内に頼れる人がいる未来

末次:コロナを境に、常識がガラッと変わりましたよね。働き方も暮らしも、AIみたいな新しい技術も入ってきて、前と後で世界が違う。満員電車が当たり前、みたいな価値観も揺れました。共助を続けてこられた立場から、これからの時代をどう見ていますか?

甲田氏:AIはもう生活にも仕事にも欠かせない存在になりますよね。でも一方で、人間でなければできないところっていうのがすごく研ぎ澄まされると思っていて。
例えば自動運転が普及しても、2歳の子どもが保育園から家に帰ってくるときに、自動運転の車に迎えに行かせて、家まで連れて帰ってきてくれたら、それで親は安心かって言うと、そこはやっぱり安心できる人間に任せたい。ロボットが「おかえり」って言っても、親の安心は別物です。
だから私たちは、AIや技術に寄りかかるのではなく、人間の温かみをどう届けるかを磨いていきたいんです。

末次:同感です。環境の仕事って、不安を煽ろうと思えばいくらでもできる。「地球が危ない、だからこれを買わないといけない」とか。でも、私たちがつくりたいのは"買えば安心"ではなくて、暮らしの中で"安心を設計できる状態"。ライフステージや関係性に合わせて、自分たちで整えていく。そのためのプラットフォームを拡げたいんですよね。

甲田氏:そうですね。高校生とか大学生とか、若い人たちに対して講演をしに行く機会があるんですけど、一部の学生は、生まれてから20歳まで、世の中が良くなることを1回も経験していない世代なんです。そのときにいつも伝えるのが「未来を誰かに託さないで」ということです。リーマンショックやコロナで"よくなる実感"が持ちにくい世代かもしれないけど、自ら行動すれば状況は変えられる。自分らしい関わり方を見つけるのが、まず一歩だよって。

末次:関係づくりって、いま一番コストが高く感じられるものかもしれません。でも結局、関係資本こそが事業と地域の地力を上げる。私たちが続けてこられたのも、ご縁の循環があったからです。これは"国や社会の設計"の話にもつながる気がしていて、循環型社会をベースに、新しい経営・新しい共助のかたちを示したいですね。

甲田氏:アミタさんは、関係性を資本にした事業を45年以上実践してこられたことで、関係資本=価値であるということを証明していると思うんです。
今、「誰かとつながりたいか」と面と向かって聞くと、「もう別につながらなくても大丈夫」、みたいな人たちもすごく多いんです。だけど生きてれば何かしら、子育て、介護、健康、移動、緊急時など困ることってあるじゃないですか。その困ったときに、半径30分以内に助けてくれる人がいるかいないかで、その人のその後の人生が大きく変わってしまう。だからこそ、困りごとを身近に頼りあえる社会を作りたいなと改めて思うんですよね。それは、職縁なのかもしれないし、地縁なのかもしれない。でも、本当に困ったときに頼りになるのは、インターネットの中にいる人じゃないと、ネット業界で何十年も働いてきたからこそ思うんです。

AsMamaのコミュニティの中でも「私、ベビーシッターやりたいです」とか、「送迎支援やりたいです」という明確な動機をもった人ってそんなにいないんですよ。そうじゃなくて、「○○さんが困っているんだったら、それはちょっとほっとけないよね」とか、「私でいいんだったら、全然○○さんのためにやるよ」という人たちが多いので、いかに半径30分以内に自分や自分の家族のことを知ってくれている人がいるか、思ってくれる人がいるかっていう。それをちゃんと設計して、頼りあえる仕組みとしてインフラ化していきたいんです。

日本はやっぱり隣人を思いやるモラルとか、正義とかがあるので、そのモラルや正義をきっちりメソッド化させて、日本らしいプロダクトとして、世界にも広げていければいいなと思っています。
自分の年齢を鑑みながら次世代に継いでいくというのも考えたら、もうお尻どころか、体に火がついて全身燃えてるみたいな焦燥感はめちゃくちゃあります。

末次:全身燃えてる。(笑)火、消さずにいきましょう。AI時代においても、最後に残る価値は"人のぬくもり"だと思うんです。半径30分で頼れる誰かがいる社会を、MEGURU STATION®を結節点に、AsMamaさんの"頼り合いの導線"を重ねて、一緒に形にしていきたいですね。

甲田氏:ぜひやりましょう!半径30分の頼り合い×MEGURU STATION®で、地域を動かす。次の時代の当たり前を、一緒につくっていきましょう。

甲田氏と末次写真

対談者 | 甲田 恵子 氏(株式会社AsMama 代表取締役CEO)

1975年大阪府生まれ。フロリダアトランティック大学留学を経て、関西外国語大学英米語学科卒業。1998年、環境事業団(現・独立行政法人環境再生保全機構)に入社し、役員秘書および国際協力室に従事。2000年、ニフティ株式会社に転職し、海外事業部の立ち上げや広報・マーケティングを担当。2007年、ngi group株式会社(現・ユナイテッド株式会社)にて広報・IR室長を務める。2009年に退社後、同年11月に株式会社AsMamaを創業し、代表取締役CEOに就任。
AsMamaは「子育てシェア」という新しい概念を提唱し、地域共助の仕組みを通じて、育児や日常生活の困りごとを解決するサービスを展開。現在、登録者数は10万人を超え、地域のつながりを強化する活動を行っている。著書に『ワンコインの子育てシェアが社会を変える!』がある。地域課題解決に向けた取り組みや、共助コミュニティの形成に関する活動が評価され、数々の受賞歴を持つ。